フォーチュン・マッキ’s diary

幸せのために何ができるか

<妄想話>子供からお年寄りまで値切りを楽しめるお店 「ハンガク」 第4話

値切りとは売り手の価値と買い手の価値がぶつかる環境。

 

値切りを目的とした商業施設「カチカチ山」。

そこにある「ハンガク」という私のお店のお話。

 

前回は「絵画の価値」についてお話した。

ちなみに、まだあの絵は店内に飾って価値を模索している。

https://fortunemelody.hatenablog.com/entry/2022/06/12/003123

 

今日は絵画に匹敵するくらい難しいものがきた。

音楽ショップの店長から売れ残ったCD100枚ほどを売ってほしいと依頼があった。
依頼があれば断らないのでどんな商品も店で売る。

もちろん、私の専門ではないので、私なりの価値で売るつもりである。

にしても多いから時間がかかりそうだな。

 

絵画同様にまず3つの価値を考える。

「金額」の価値。

「感情」の価値。

「時」の価値。

さらに今回は作成者の評価だけでなく、制作会社の評価も考える必要がある。

前回の絵画の場合には複製、グッズ等の販売はしておらず、1点物の絵であったが、音楽はCDにし、大量に売られる。

なので、本来であれば生産者と消費者の価値観、戦略のぶつかりあいを頭に入れておかないといけない。

ただ、私はそこをあまり考えないことにしている。

大量に作るから価値が下がるというのは、本質としておかしいと思う。

食品でも音楽でも、大量にあっても少なくても、その人にとっての価値はその人のものである。

 

前置きが長くなったが、価値をつけていこう。

 

まず、作成者である歌手、作詞家、作曲家の価値に関しては残念ながら聞けていない。

一応、アプローチはするが、なかなか会えることはない。作者が亡くなっている場合もあるので。

制作会社に確認しても大概は定価を示される。 

こんな感じですると1人ではかなり苦労するので、音楽ショップの店長には予め確認していただくようにしている。ちゃんと確認しているかは不明だが仕方ない。

 

次に前回同様、「物」、「背景」、「感動」、「芸術の見かた」流れで見ていく。

 

「物」としての価値には、使われる素材がある。

CDとしての材料という素材の価値がある。

ただ、ご存じの通り、ジャケット、セットリストというものもあり、そこにはかなりの価値がある。

さらに作者のサインなどを入れたりと歌以外での付加価値が存在する。

あるアイドルの場合は握手券が入っていたりと、価値を付加しやすいものとなっている。

いつ売るかというのがポイントにもなるものである。

 

「背景」としての価値というのは、作者や、どこでどんなタイミングで作成したか。

歌の場合もやはりこの作者自身の価値というのは大事になってくる。

残念ながら本人から聞くことができないので、自分で調査する。

単純かもしれないが、私は、年齢、性別、出身、人種、パートナーがいるか、子供がいるか、親がいるか、兄弟姉妹がいるかなども見て判断している。

その歌の歌詞などをそれ相応に感情を込めて歌うのにその体験をしたことないというのが関わると考えているからである。

 

「感動」としての価値というのは、主観である。

聴いた人がどう思うかを店内で流して調査する。

流している音楽か何かを店先に表示しており、訪れた方にアンケートを行う。

有難いことに老若男女が訪れる店なので、比較的、偏らないアンケート結果がもらえている印象である。

すごく古い歌を今の若い人が聴いて、とても感動する姿を見て、いい歌はやっぱりいい歌だなと思う。

物の価値というのは時間とともに下がる訳ではないなと改めて思う。

むしろ上がるものも多い。

価値を下げているのは聴く側である。

 

「芸術の見かた」としての価値を考えるには、あらゆる目線で見ることである。

先程、感情を込めて歌えるかという点で価値を見出すと言ったが、さすがプロな歌手、作詞家、作曲家は体験したことがないようなことも音楽にできる才能があるので、売れているのである。

なので、そういった技術に関しても評価をする。
しゃくり、こぶし、フォール、ビブラート、ブレス、シャウトなどの技術評価は私にはできないので、知り合いの専門家に相談する。

 

何度も聴くことも大事である。

一度聴いて良いと思う歌もあるが、何度も聴いて初めて良いと思う歌も多い。

どんな歌手でもいい歌があれば、売れない歌も出てくるのは仕方ないと思う。

 

ドラマや映画、CMなどとのコラボされるとより歌の価値が上がる。

歌からできたドラマとかもあるぐらいである。

「全ての芸術は音楽に憧れる」って言いますよね。

おそらく、皆さんもハナウタを歌うでしょう。

日常を音楽に変えることは実は、みんなしている。

日常は音楽である。

少し話が反れましたが、音楽というのは生活の一部であると思っている。

 

最後に、私が一番大事にしたいことがある。

それが、「作者がどういった思いでこの歌を作ったのか」である。

自分のために作ったのか、愛する人のために作ったのか、ファンのみんなに作ったのか、苦しんでいる人のために作ったのか、国や世間に対する訴えとして作ったのかなど様々な表現の過程が存在する。

ここが私が一番評価する点である。

作者の思いが誰かの心を動かすのが音楽である。

残念ながら分からない場合もあるが、色々な手段で調査に時間をかけて価値を測っていく。

 

ダウンロード、サブスクリプション、ストリーミングなどの戦略的な音楽の売り方はあるが、価値が下げられていないかというのは気になるところ。

ただ、音楽を通して物、物語、人物を知るなど繋ぐものとしての価値が大きいのかもしれない。

 

知ってもらうということは大事であるが、そこにしかない価値というのをどうつけるか。リアルな価値というのを突き詰めていければと考える。

 

今回も値段としては定価の半額程度で売るものが多かった。

ただ、それを買う人々の姿は、久しぶりに友人に会えたかのような顔をしている。

できれば歌手に来てもらって売ってもらえるようにステージを作ろうかな。

あと、みんなが歌える場所も作れたらいいな。

 

ちなみに、私もよくカラオケに行って歌ってる。

採点すると75点前後・・・である。

 

~ 続く ~

<妄想話>子供からお年寄りまで値切りを楽しめるお店 「ハンガク」 第5話 - フォーチュン・マッキ’s diary